元ラジオ少年のアメリカ留学体験記

1975年頃、中学生だった私(小林克之)は毎週日曜の朝、テレビで『世界の子供たち』という番組を見ていた。

世界のいろいろな国の情報に胸を躍らせた。
中学校では英語クラブに入り、フィリピン人と文通を始めた。

その頃私は、ソニースカイセンサーという短波ラジオにはまり、毎晩のように世界電波をキャッチすることに夢中になった。

『ラジオの製作』という雑誌を買っては情報を得て磨きをかけた。当時この趣味をBCLと言っていた。

高校1年生になり、アメリカ人留学生と共に過ごす
サマーキャンププログラムを見つけて参加した。
同じ高校生なのにみんな大人びて見えて気後れもしたが、3日間あっという間に過ぎた。

キャンプファイヤーでは一緒に歌ってみんなが一つになった。
初めて異文化に触れた衝撃的体験であった。

私は「次は僕がアメリカに行く番だ」と思い、高校生の為の交換留学プログラムを見つけ、面接を受けた。学校からの推薦状が必要だったため、自ら校長室に赴き懇願した。
NHKのラジオで英語の勉強をした。

そして2年間の準備期間を終えた17才の夏の終わり(1978年)に、開港直後の成田空港からアメリカに旅立った。

1年間休学し、帰国後は、3年生に復帰するという条件であった。
機内から初めてアメリカの陸地が見えた時は、嬉しくてみんなで拍手喝采した。

先ず、カリフォルニア州にあるUC バークレー校でオリエンテーションがあった。
とにかく嬉しくて雲の上を歩いている様だった。

街を歩くと本場のハンバーガー店があり食べてみた。
ここで印象に残っているのは、ドリンクだ。

超特大のカップを渡され、ドリンクサーバーが置いてある。
自分で好きなものを好きなだけどうぞ、ということだ。

今で言うドリンクバーだが、当時はまだそんなの見たことも無かった。
アメリカってすごいなあと関心しきりであった。

夜にはディスコにも行った。
人生初のディスコである。

世間知らずの私であり、フォークダンスしか知らないのに、どうすんねん?

しかし、馬鹿の私はこういう時強いねん!
いいじゃん!

見よう見まねでクネクネすれば!

ハロー!ハロー!ミスターモンキー!って音楽が流れて、みんなクネクネし出した。

だいたい、暗ったいし、ひとの踊りなんて見てないし。

でも、いままでに無かった、何かが弾けたような、気もした。

こういう時はみんな笑顔になるし、楽しかった。

9月から1年間ミシガン州の学校に通った。

ホームステイ先の弟ショーンがアメフトの選手だったので、まあいいか!と軽いノリでアメフトのチームにも参加した。

もちろん、アメフトなんてやったこともなければボールさえ見たこともない。

でもチームの皆は、165cm・58kgの私を快く受け入れくれて、ボールの投げ方から教えてくれた。

練習時には、ヘルメット、ショルダーパッド、そして82の番号のユニホームを着せてもらった。
見かけだけでも、1人前のフットボール選手になった。

ただ、わたしだけ髪型がスポーツ刈りなので、身体が一番小さい割には、変に目立っていたかもしれない。

一度試合にも出してもらったが、あっという間にタックルされて吹き飛ばされた。そんな私にも、地元の人達はKats(かつ)と呼んで声援を送ってくれた。

私は自分が上手にタックルできなかった悔しさよりも、コーチが試合に出してくれた気持ちと、多くの声援をくれた地元の人達の気持ちが伝わってきて嬉しかった。

嬉しすぎて、涙が出て止まらなくなった。自分でもどうにも出来ないくらいすすり泣いた。

帰りのバスで、チームメートのジョンソンがすすり泣く私に「どうしたんだ?」と気を遣ってくれた。

私は気持ちが高揚して答える事は出来なかった。

私達のチームは8勝1敗で10校中2位だった。
シーズン後のバンケットの時、「一番成長賞」で私の名前が呼ばれた。予期せぬご褒美であった。

ホームステイの家から1時間位ドライブすると、シアーズ(ショッピングモール)があった。
日本はまだデパート全盛期時代。
ショッピングモールは、私にとって魅力に溢れていた。

何時間いても飽きなかった。
見るもの全てが新鮮に見えた。
1ガロン(3.8L)の大きな容器に入った牛乳には驚いた。人々がそれをいくつもカートに入れていく姿にさらに驚いた。

クリスマスにはお父さんからカウボーイハットを買ってもらった。

外食の時は、マクドナルドやケンタッキーフライドチキンをよく食べた。マクドナルドで食べたチェリーパイは忘れられない。

今でも、マクドナルドに行く度にメニューにチェリーパイを探してしまうが、売っていない。仕方なくアップルパイを注文して気を紛らわす。

先日、どうしてもチェリーパイが食べたくて、インターネットで山形県からお取り寄せした。
勿論、美味しかった。きっと、マクドナルドのチェリーパイより数段美味しいのだろう。でもマクドナルドにお願いしたい。
あのチェリーパイをもう一度!

帰国後、高専を経て某家電メーカーに就職。
ビデオカメラの開発に携わり、ボランティア活動にも精を出し視野を広げた。

その後、長男の使命を悟り、15年ぶりに吹上に帰って家業を継ぎ、現在に至る。地域の皆さまの、暮らしの安心と笑顔を守るために、水まわり、電気、住まいの困りごとを解決している。【The End】

(有)小林電気の使い方

小林
家電のことはもちろん、住まいのことも何でも構いません。
「困った!」「誰に頼めばいい?」「誰か助けて!」
そんな時は、まずはお電話ください。お話をじっくりお聞きして、どんな時もお客様をお守りします。
小林

お電話いただければ、スタッフがすぐに飛んで行きます。なるべく早く現地に行って、状況や原因を把握します。それから、どうするのが一番良いかをお客様と一緒に考えます。

「困った時はとりあえず電話」

それが、(有)小林電気の正しい使い方です。
小さなことでも、どんな時でも、お気軽にお電話くださいね。